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本当の喜びは結果ではなく行為自体にある

出典:Pixabay Creative Commons CC0 flower-garden-250016_640

前回は「結果に執着することなく、ただ最善を尽くせ。行為の結果に期待するな」という「バガヴァッド・ギーター」の教えを紹介しました。

今回は同じことを主張されている方々の紹介です。

ルドルフ・シュタイナーは、神秘修行――霊性修行とほとんど同じ意味だと思われる――に入るための諸条件として「内的確信と不退転の持続力」をあげています。まあ、断固たる決意ですね。彼は「その決意はひとつの力である」と言い、次のように続けます。

もしこの力が直ちに成果をあげられなかったとしても、その力は生き続ける。成功する、しないは、欲望から行動するときにしか、意味を持たない。そして欲望から為された一切の行動は、高次の世界にとって価値を持たない。高次の世界にとっては、もっぱら行動に対する愛だけが決定的である。この愛の中にこそ、修行者を行動に駆り立てるすべてが生きていなければならない。そうすれば何度失敗しようとも、繰り返して一度決意した事柄を行動に移そうと、努力し続けるであろう。そして自分の行動に外的な結果が現れるのを期待するのではなく、行為すること自体に喜びと満足を見出すようになるであろう。修行者は自分の行動が、否、自分の全存在が世界のために捧げられていることを学ぶであろう。

 『いかにして超感覚世界の認識を獲得するか』(とくま学芸文庫)(P131~132)*傍線筆者

シュタイナーは、神秘修行に入るための条件を7つあげていますが、上はそのうちの一つです。その他はまたの機会に触れるとして、いずれにしても彼は「神秘修行の場合、成功せんがために行う努力によって成功することはめったにない。同様に敬虔な態度を伴わぬ学習はもっと進歩することが少ない。成功への愛ではなく、努力への愛だけが進歩を促す」と断言しています。

次はサイババさんです。サイババさんは、人の傾向として、タマス(鈍性)、ラジャス(激性)、サドワグナ(浄性)の三つの性質があるといいます。人間は誰もが、そのうちのどれかが優位にあるといいます。

それを踏まえた上で次をお読みください。

タマス(鈍性)の属性が優位を占める性質の者は、行為の果実を求めるためにのみ行為します。かれらは、行為から果実を得るためには、ありとあらゆる口実を設けます。かれらにとって、結果が手段を正当化します。ラジャス(激性)が優位を占める性質の者は、自分が行為者であり、恩恵をほどこす者であり、体験する者であると自慢します。サドワグナ(浄性)が優位を占める者は、果実を考えることなく行為をし、成功であろうと失敗であろうと行為の結果を神に委ね、ひたすら自分の義務のみを意識して権利についてはなにも考えません。事実、行為にともなう結果よりも、実際の行為のほうに喜びが多いのです。(略)行為のプロセスとそれから得る果実とを前もって考えるならば、行為の果実を捨てることはたやすいことです。

『黄金の宇宙卵』(P145~146)*傍線筆者

つまり、自分の中の「浄性」を向上させることが、いわば「人事を尽くして天命を待つ」生き方に繋がるわけです。むろん、逆もまた真なりで、そういう生き方に変えていけば、私たちの性質も段々浄化されていくということでしょう。

このように、シュタイナーとサイババさんは、奇しくも(?)同じように、「行為の結果は気にするな、本当は行為自体に喜びがあるのだぞ」と言っています。私もできればこの精神で当サイトの運営に当たっていきたいと思っています。

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