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友人として付き合う上で大事なのは「尊敬できるかどうか」

撮影:Takaaki Yamada

 もしもつねに正しくこの世を歩んで行くときに、明敏な同伴者を得ることができたならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念(おも)いをおちつけて、かれとともに歩め。

しかし、もしもつねに正しくこの世を歩んで行くときに、明敏な同伴者を得ることができなかったならば、(戦いに負けて)広大な国を捨てた国王のように、唯だひとりで歩め。悪いことをしてはならぬ。

旅に出て、もしも自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。

愚かな者を道伴れとすることなかれ。独りで行くほうがよい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。――林の中にいる象のように。

『感興のことば』(14章13節~16節)

中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』(P203)

今日、良き友人ほど得がたい存在はありません。

しかも、ブッダは、あなたが「つねに正しくこの世を歩んで行くとき」という条件を付けています。そのような時に「明敏な同伴者」を得ることができる人は、今の時代、まことに幸運な人と言わざるをえません。

しかし、私たちが生きねばならないこの世俗の世では、むしろその正反対の、欲と執着にまみれた、利己的な人々が多数派なのが、偽ざる現実です。その中にあって、自分自身もそうでない、そうならないと断言できる自信は、少なくとも私にはありません。

このように、世俗にありながら、周囲に流されず、染まらずに、正しく道を歩むことは、非常に困難です。しかも、今の時代、世俗にあって、心は世俗に属さず、となると、たいてい周囲からの孤立を招いてしまいます。

寂しいといえば、確かに寂しい。とりわけ若い時にありがちなのが、そのような孤独を恐れて、良き友とは正反対の人たちと付き合うことです。

いったんそういう人々の仲間になってしまうと、独特の同調圧力により、あなたも同じ振る舞いをすることを余儀なくされます。それが政治的な団体やカルト的な団体だったりすると、人生そのものを誤ってしまうことにもなりかねません。

林の中にいる象たれ

ブッダは「愚かな者を道伴れとすることなかれ。独りで行くほうがよい」と断言します。

もし今、あなたが学校や職場の人間関係から、内心では尊敬もしていない、もしくは軽蔑している人々と「仲間」となっており、ずるずると付き合っているとしたら、それはあなたの人生にとって何のプラスにもなりませんから、徐々に離脱しましょう。

ただし、そのような人々と仲間になってしまった事実に対して、他人に責任を帰すべきではありません。相手は本当にあなたと友達になりたいと思って近づいてきたかもしれないのです。どんな人であっても、一人の人間として、それなりの敬意を払うべきです。

そもそも自分が寂しいからとか、孤独になるのが嫌だからといった理由で、誰でもいいから友達として付き合うというのは、実はあなたのエゴでしかありません。あなたが内心でそう思っているとしたら、相手にとっても、あなたはその程度の存在でしかないということです。

尊敬できない人とは、あえて付き合う必要はありません。良き師や良き仲間に巡り合うことができなければ、「林の中の象」のごとく、孤高の歩みもまた人生の選択です。

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