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私たちがバーチャル・リアリティの世界に生まれる理由

撮影:Takaaki Yamada

驚くべきことですが、この世界がバーチャル・リアリティに過ぎないということは、次のように『バガヴァッド・ギーター』も独特の表現で書き記しています。

光明に達し

ブラフマンの本性と

一体になった魂は

「私は何もしていない」と考える

見、聞き、触れ、嗅ぎ、食べ

動き、眠り、呼吸し、語り

排泄し、手でつかみ

眼を開き、あるいは

眼を閉じているときも

彼はいつも知っている

「私は見ない、私は聞かない

見るもの、聞くもの、触れるものは

感覚が外界に働いているにすぎない」

『バガヴァッド・ギーター』(ヴェーダーンタ文庫)(P71)

つまり、この世界はコンピュータゲームの世界と同じようなものですから、その中で何をしようとも、本質的には何もしていないのと同じことだというわけですね。

ちょうど、キアヌ・リーブス主演の映画『マトリックス』の設定と似ています。人々はカプセルの中で眠らされているのですが、脳内では“現実の世界”を生きているわけです。

映画「マトリックス」の一場面

映画「マトリックス」の一場面

映画をご存じない方には、単純に私たちが日々見ている夢と同じといえばいいでしょう。私たちは夢を見ている時、あたかも現実の体験であるかのように錯覚しています。

だから、私たちが現実のお金や物質的富と信じているものは、実際にはゲーム内の通貨や物と同じ“虚構”にすぎないと思うことは、執着を薄める上で役に立ちます。

では、私たちはいったい何の目的があって、このバーチャル・リアリティの世界にログイン(誕生)し、そして一定期間を経た後にログアウト(死)するのでしょうか。

実は、世界そのものは虚構であっても、そこで過ごす意味自体が損なわれるわけではありません。それはまさしく私たちがゲームをする理由と同じです。

つまり、経験をする・・・それ自体が意味と目的なのです。まさにそれを味わうために私たちは以前の記憶を消してまでこの世界にやって来るわけです。