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欲望を無理やりではなく自然に減らしていく方法

撮影:Takaaki Yamada

欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世でこの執著をのり超える。

ひとが、田畑・宅地・黄金・牛馬・奴婢・傭人・婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊れた舟に水が浸入するように。

それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

中村元訳『ブッダのことば』(スッタニパータ)(P174)

現代の経済システムは、より多くのモノを所有し、消費することを人々に薦めます。そうしないと景気が悪くなり、かえって私たちの所得や仕事が減るという、何とも奇妙な社会になってしまっています。しかも、そのニーズを満たすために高水準の供給体制を維持せねばならず、そのために多くの労働と高い税金を余儀なくされています。

改めて「真の豊かさ」とは何なのかを考えざるをえません。

明らかに私たちと社会は、自らの欲望の肥大に苦しめられています。欲に翻弄される人間に対してブッダが説いた教えが、今日ほど有効な時代はありません。

ミニマリストと不食のブーム

最近、ミニマリストと呼ばれる人々が話題になっています。

ミニマム(minimum)とは最小限という意味ですね。その反対が(マキシマム)maximumです。要は、持ち物は必要最小限に留めておこうという主義の人々です。

欲望を絶えず煽る消費社会と一線を画そうとする人々の集団的出現は、たいへん興味深い社会現象であり、私も大いに共感するところがあります。もともと、人間は、精神的に発達してくると、物質に対する執着が弱まるため、質素を好む傾向が強まります。究極の物質万能社会にあって、かえって所有という概念から自らを解放する人々が現れ始めたことは、明らかに時代が次のフェーズへと進歩したがっている兆候です。

一方で、「不食」という人々も現れるようになってきました。これを科学的に信用できないという人も多いようですが、私は、偽物もいるが本物もいると思っています。なぜこういったことが可能なのか、一応の理論は知っていますが、私自身が実際に試したことはないので、なんとも言いようがありません。

仮にミニマリストで不食という人々が増えたら、まるで仙人社会です。今の経済システムは崩壊するでしょう。まあ、そういったことはないとは思いますが。

世界がバーチャルならば、欲望と執着の対象もまた幻

こういった暮らしは、ある種の哲学に基づいた「生き方」といえます。ただし、ナチュラルにやることが肝心です。くれぐれも「無理」してやらないことが大事です。欲望を減らしていくと、すっきりして、重荷を下ろしたようで、心地よいと感じる人がやるべきです。もし格好や結果に執着して無理をしたら、逆に苦しむだけです。

だいたい欲望というものは、無理やり抑え付けたところで、決して無くなりません。それは潜在意識下に押し込められた格好になります。圧搾空気と同じです。最終的には何かのきっかけで噴火する可能性があります。無理なダイエットの反動と同じです。

では、欲望を“ナチュラルに”減らしていくには、どうしたらよいでしょうか。

私がこれまで述べてきたことが多少なりとも役に立つかもしれません。

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つまり、この世界はしょせんバーチャル・リアリティに過ぎないという認識を血肉とすることです。昔の人は漢字で「空」と表しましたが、同じ意味ですね。

そうやって、欲望の対象としている存在が、実は取るに足らない、一時的なものにすぎないと分かれば、執着そのものが減ります。それは、はかなく、幻に過ぎず、永遠の至福をもたらすものではないと知れば、無関心とまでは言わないまでも、少なくとも関心の度合いは減ります。そうすれば欲望も自然と減り、心も軽くなり、そして人生の重荷も減るのではないでしょうか。