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人生に絶望した人へ 心の持ち方を変えてみる

出典:ゆんフリー写真素材集 No.654 麦畑にポプラ

このサイトは普遍的な事柄を扱っているので、いちいち個別の犯罪事例は記しませんが、ある者が「人生に絶望して」無関係な人を刃物で刺すという通り魔事件がしばしば世間を賑わせます。

己の人生に悲観したからとって通りすがりの人々を攻撃し、地獄の道連れにしようという身勝手な神経が理解できませんが、この種の者に共通するのは、自分で作った「思考の檻」に閉じ込められてしまい、脱出できなくなっていることです。

江戸川乱歩の作品に『鏡地獄』という短編があります。ある偏執狂の男が、内側を鏡貼りにした人体サイズの球の中へと入り、ついには狂気に至るという、怖いお話でした。

人間はしばしば、こんなふうに己の周囲に「マイナスの鏡」を貼り巡らせて、想念がその中で堂々巡りすることがあります。たいていの人は、視点を変えたり、気分転換したり、仕事に忙殺されたりして、知らず知らずのうちに脱出します。しかし、自分が作った幻の檻の中にいつまでも閉じ込められている人も稀にいます。

仏教では生・老・病・死を「四苦」とします。人間である限り、この苦から免れることはできません。問題はそれに直面した時の己の心であり、心の状態です。

「人生には夢も希望もない」とか「もはや絶望的状況だ」といった悲観が継続しているとしたら、その人は「思考の檻」という地獄に閉じ込められている可能性大です。それが他人や社会に対する憎悪に延焼しているとしたら、危険な兆候です。

絶望から抜け出すための四つの処方箋

抜け出す方法は幾つかあります。

第一に、あえて第三者(他人や社会)の視点から自分を見つめることです。他人はあなたの“悲惨な”境遇を見ても、よほどのことがない限り本心から同情しませんし、たいていは取るに足らないことと考えます。ちょうど、あなたが他人の悩む姿を見ても、さして共感しないのと同様に。こんなふうに、他人の視点を借りて「自分の悩みなんてその程度のことだ」と思えば、不思議なことに、以前より軽くなっていることに気づくでしょう。

第二に、これまで述べてきたように、この世はしょせん夢に過ぎないと思うことです。サイババさんやヨガナンダさんも、この方法を薦めています。

困難にあったら、この世はバーチャル・リアリティであり、一種のゲームであり、しょせんは束の間の出来事にすぎないと、肩でもすくめてみましょう。

この世は“情報世界”であり“仮想現実”である
最新の物理学では、物質の本質に関して「超弦理論」という有力な仮説が提唱されている。大雑把にいえば、われわれが素粒子(物質の最小単位)と思い込んでいるモノは、実は「紐状のエネルギーの振動」にすぎず、また...

第三に、その悩みがすでに解決している未来の自分をイメージすることです。「たいしたことではなかった、深刻に悩んでいた自分が馬鹿みたいだ」というふうに、できるだけその時の飄々とした感情まで再現し、できれば笑い飛ばしましょう。この“疑似体験”を反復すれば、いつしか潜在意識のレベルで既成事実化し、現実になっていきます。

第四に、生きることの「本質」を真に理解し、見つめることです。それは世俗的な成功や物質的な所有への執着を捨てることと裏返しです。

人は何のために生きているのか、人生の意義や目的とは何か?
さて、これまで、人が物語(フィクション)に魅了される背景には、驚くべき秘密が隠されていることを述べてきました。疑似体験ができるから、又はそれをするために、私たちは物語を鑑賞したいと思うわけですね。疑似...

子供が時間を忘れて遊びに夢中になる――ここに生の秘密が隠されています。「この世」というゲームにおいては、「真剣に生きたか否か」「充実していたか否か」「他者に対してどう振舞ったか」、それだけが真に重要なのです。

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