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肉体は本当の自分自身ではないからといって疎かにしてもいけない

出典:Pixabay CC0 Public Domain

ブッダは、人が「わがもの」という観念を捨て、それに執着しないよう説いています。それを貪り求める人々は、憂い・悲しみ・ものおしみを逃れられないと。

サイババさんも同じことをおっしゃっていますが、とりわけ肉体を「わがもの」と考えないこと、つまり真の自分と取り違えないよう忠告しています。

父母、兄弟、親類、富家屋、その他なんであっても、あなたに属するものは何一つないという事実を認識すべきです。これら全てのカゲロウのごとく儚いものは、あらゆる心の迷いの基礎である変化する身体に関係しています。

『サティア サイババ ブリンダヴァンの慈雨』(P29)

この世に生きている人間が恐怖と不安、悲嘆と苦痛、敗北と困難を味わうのは、人間が自分自身を非真の存在である肉体と同定することにより生ずる。

『すべてはブラフマンなり』(P32)

私たちの肉体は日々老い、やがては朽ち果てていくだけの「仮の宿」に過ぎないんですね。だから、そんなものを自分自身の本質と錯覚してしまうと、老いるにつれ、悲哀のほうもどんどん増していきます。しかも、自分が惨めになるだけでなく、あらゆるもの(家族、人間関係、家や財産などの所有物、地位や名声)に執着し、さらに苦しみが増す悪循環に陥ります。実は、これは近代に入ってから悪化した心の病です。なぜなら、背景には唯物論や無神論の蔓延、目に見えない世界の否定とった問題があるからです。

サイババさんは、人の持つ執著の根源は、己の肉体性への執着にあり、さらにその執着は自己と肉体とを同一視する過ちから来ていることを喝破しています。だからこそ、本当の自分自身を肉体と思わないよう、繰り返し説いています。

健康に適度の注意を払うこと、そして健康になる秘訣とは?

ただし、だからといって、肉体をおろそかにしていいとは、おっしゃっていません。逆に、身体のことばかり気にするのもよくないが、一方で、人間の身体は「神からの贈り物」であるから「適度の注意を払いなさい」ともおっしゃっています。

身体がたとえ一過性の儚いものであるにしても、それが続くかぎりは身体の面倒をよく見るべきです。なぜなら、身体は神が住む動く神殿だからです。

『サティア サイババ ブリンダヴァンの慈雨』(P44)

身体の健康は大切である。病気は心の安定と集中の妨げとなるからだ。身体が健全であれば、心も円滑に機能する。身体の具合が悪ければ、心は安定しない。だから身体と呼ばれる筏、生々流転の海を渡る唯一の手段である身体を、つねに快適に保ちなさい。

『すべてはブラフマンなり』(P76)

神殿である以上、肉体をおろそかにするのも、また罪と言えますね。

興味深いのは、身体を、海を渡る「筏」に例えていることです。これはブッダさんも同じです。仏教では、解脱することを「彼岸に至る」(河を渡って涅槃のある向こう岸に行く)ともいいます。お彼岸に墓参りする日本の風習もここから来ています。

また、健康を保つ秘訣として「帰依と道徳」が挙げられている点も興味深いです。

虚偽、不正、不安、これらは筏の結び目をゆるめ、水がもってくる。(略)帰依の心と道徳とは、心の健康と同じく肉体の健康にも大切である。帰依と道徳とによって心はつねに安定し、歓喜と喜悦にみちる。帰依と道徳は神経を鎮め、身体の生理機構をも順調にする。

『すべてはブラフマンなり』(P76)

これは本当に健康になることに役立つのでしょうか。ストレスが私たちの健康を悪化させる事実を思えば、納得することができます。逆もまた真なりでしょう。

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