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ブッダが説く「この世はバーチャル・リアリティ」と般若心経

撮影:Takaaki Yamada

仏像の額にあるコブについて解説する記事の中で、スッタニパータの第五章「彼岸に至る道」が成立した経緯を説明しました。

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もともとは、悩みを抱えたバラモンのバーヴァリさんが、女神から「世界の指導者ブッダ」の存在を聞きつけて、十六人の弟子を派遣したことに始まります。

彼らは長い旅路に果てにブッダのところへ辿り着きました。そして、ブッダの見識に驚き感激したあまり、その場で帰依しました。彼らは一人ずつ順番に質問しました。ブッダもまたそれに丁寧に答えていきました。

その対話が人々を“老衰と死との彼岸”すなわち「解脱」へと導く英知に満ちていたために、経典の一つに加えられたのです。

実は、その英知の結晶の中には、この世が仮想現実(バーチャル・リアリティ)に過ぎないことをブッダが示唆している言葉があります。

十六人のバラモンの一人、学生モーガラージャの質問に対して、ブッダは次のように答えました(*傍線筆者)。

「(略)どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」

中村元訳『ブッダのことば』(スッタニパータ)(P236)

また、自分のことを、老人で、容貌も衰え、目もよく見えず、耳もよく聴こえないと卑下する学生ピンギヤの質問に対して、次のように答えました(*傍線筆者)。

「わたくしが迷ったままで途中で死ぬことのないようにしてください。――どうしたらこの世において生と老衰とを捨て去ることができるか、そのことわりを説いてください。」

「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害(そこな)われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。ピンギヤよ。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

ピンギヤはもう一度「この世において生と老衰とを捨て去る」道を尋ねました。

「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

中村元訳『ブッダのことば』(スッタニパータ)(P236~237)

私たちはこのブッダの言葉からどのような真意を汲み取ることができるでしょうか。

モーガラージャの質問に対して、ブッダははっきりと「世界は空」であると告げています。そう観ずるなら死を乗り越えられると。

また、ピンギヤの質問に対しては「物質的な形態」に対して注意を喚起しています。これは肉体のことを意味しています。

よく読めば、肉体が真の自己であるという妄執のせいで人間は病や老いなどに悩まされるのだ、と説いていることが分かります。だから、その妄執を捨てることが生と老衰とを捨て去る望みにかなうことなのだと。

逆にいえば、物質的な形態そのものが幻なので、本質的には病も老いも存在しないのに、肉体を実在と信じるからそれも存在してしまうのだ、ということです。

つまり、「世界は空」というブッダの認識には、人の肉体も含まれているのです。

実は、これは私たちに馴染み深い「般若心経」と、とてもよく似た内容です。

「弟子のシャーリよ、人の身体も、この世界も、一切が幻(空)ですから、五感で感じるものもすべて錯覚であり、老いることも死ぬこともなく、一切は夢想です」

要約すれば、こんな内容だと思います。さらに一言でまとめると、こうなると思います。

「この世はただのバーチャル・リアリティなんですよ」