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サイババさんも説く「この世はバーチャル・リアリティ」

撮影:Takaaki Yamada

私たちの世界が「バーチャル・リアリティ」であり、私たちの物質的肉体が、その中におけるキャラクターに過ぎないことは、これまでも述べてきました。

前回の記事は、ブッダさんもそう説いているという話でした。

ブッダが説く「この世はバーチャル・リアリティ」と般若心経
仏像の額にあるコブについて解説する記事の中で、スッタニパータの第五章「彼岸に至る道」が成立した経緯を説明しました。 もともとは、悩みを抱えたバラモンのバーヴァリさんが、女神から「世界の指...

物質的な形態(身体)は、損なわれ、病にかかり、老いていきます。私たちはそのことで苦悩します。しかし、それは妄執に陥って苦悩しているのだと、ブッダは喝破したわけです。妄執とは、自分を身体そのものと思い込むことです。だから、その妄執を捨てて再び迷いの生存に戻らないように努めることが、「この世で生と老衰とを捨て去るには?」という弟子ピンギヤの質問に対する答えだったのです。

実は、とても似たことを、サイババさんもおっしゃっています(*傍線筆者)。

バクタ 絶対実在とはなんですか。

スワミ 「ある」と見えるものは非真なのだ。あなたの努力、あなたの言葉、すべてが非真である。それがわかれば、絶対実在は明らかになる。非真の言葉、想い、行為をとりのぞくとき、隠れていた真理が姿をあらわす。非真のものにおおわれていれば、真理の見えるはずはない。

バクタ なしたこと、語ったこと、見たこと、感じたこと、聴いたこと、そのすべてを非真と受けとることがどうしてできましょうか。

スワミ 第一に、それらのことを体験する主体がだれであるか、よく理解しなさい。あなたは自分の身体を、「わたし」「わたし」と言っている。そうだろう。しかし身体は非真なのだ。体験する主体の「わたし」が非真である以上、体験が真であるはずがない。一切のものは唯一のアートマンより成る。体験する主体は「あなた」ではなく、「聴く」人は「あなた」でない。あなたとは、一切をじっと視る者なのだ。

『平安・冥想・大成就』(P81~82)

私たちにとって、「なしたこと、語ったこと、見たこと、感じたこと、聴いたこと」はリアルな体験であり、それが真実でないとは、中々信じることはできません。そういう意味で、疑問を呈した弟子のバクタさんは、私たちの代表者でもあります。

しかしながら、実は今の科学でも、五感を通して得る情報は、客観的真実そのものであるとは認めていません。身も蓋もない言い方をすれば、私たちの脳が神経を伝わってくる電気信号を自分なりに解釈しているだけです。私たちの目はある波長の光だけを認識しているにすぎません。私たちに見えている世界は、世界そのものとは違うのです。

そういう意味で、私たちが“リアルな体験”と信じ込んでいるものは、実際はただの脳内体験です。五感が脳内に虚像を映し出しているわけです。

そういえば、以前の記事で、聖典『バガヴァッド・ギーター』もまた同じ様に説いていることを紹介しました。この中で教えを説いた人はクリシュナさんです。

私たちがバーチャル・リアリティの世界に生まれる理由
驚くべきことですが、この世界がバーチャル・リアリティに過ぎないということは、次のように『バガヴァッド・ギーター』も独特の表現で書き記しています。 光明に達し ブラフマンの本性と 一体になった...

光明に達し

ブラフマンの本性と

一体になった魂は

「私は何もしていない」と考える

見、聞き、触れ、嗅ぎ、食べ

動き、眠り、呼吸し、語り

排泄し、手でつかみ

眼を開き、あるいは

眼を閉じているときも

彼はいつも知っている

「私は見ない、私は聞かない

見るもの、聞くもの、触れるものは

感覚が外界に働いているにすぎない」

『バガヴァッド・ギーター』(ヴェーダーンタ文庫)(P71)

これで、ブッダさん、サイババさん、クリシュナさんの三者が、同一の真理を説いていた事実が分かったわけです。すべてインドに現れた人たちです。

だから、サイババさんは、肉体を真の自分自身であると錯覚しないよう、繰り返し説かれています。真の私たちは、肉体を裏で操る「一切をじっと視る者」です。

ちなみにですが、今、こういった真実に気づく人々がどんどん現れています。私たちはみんな無意識で繋がっているので、人類全体の進歩の顕れと言えます。

たとえば、私たちの世界をシミュレーションとかホログラムと見る仮説です。コンピュータ界の巨人レイ・カーツワイル氏や、テスラ社のイーロン・マスク氏もこの説の信奉者です。ただし、「誰」がコンピュータ・シミュレーションの世界を創造したかに関しては議論が分かれています。私は「私たち自身」と考えているわけですが・・・。

それにしても、サイババさんと弟子さんとのやり取りは、ブッダと弟子さんとのやり取りを想起させます。まるで、2500年前の光景そのままです。

霊的真理は時空を超越するということですね。