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働くことの意味 2・働くことに関しての四つの注意点

撮影:Takaaki Yamada

私たちは働くことによって多少なりとも社会に奉仕することができます。

あなたの日々の仕事によって、正常な暮らしを維持できたり、何らかの楽しみやサービスを得たりしている人が確実にいるのです。

だから、働くことは社会に対する奉仕でもあります。

また、何らかの形で自分が社会の役に立っているという気持ちは、収入だけでなく、心の安定をももたらします。そうやって日々の仕事を通して社会における自己の役割を認識している人は、少なくとも人生の充実の半分は得ているといえるかもしれません。

そういう意味で、労働それ自体を罪人の罰であるかのように主張する教えは、ある種の宗教の間違った点だと思います。逆に、働ける人が働かないでいるほうが罪であり、社会の一員としての役割を果たしていないというのが正解ではないでしょうか。

さて、他方で、そういった勤労の美徳は、落とし穴と裏腹でもあります。本当の美徳は倫理の枠内にあります。私なりに嵌り易い「落とし穴」を列挙してみたいと思います。



1・それは酷い使役を容認するということではありません

前回の記事で、人々の労働を人体の各パーツの働きにうまく例えるサイババさんの言葉を紹介しました。

その言葉からすると、社員の給与や福利厚生を蔑ろにして、できるだけ低コストで最大限労働させようという利益至上主義は、まさに人体を不当に酷使する行為に他なりません。

実際には、自身の身体の各パーツ・各細胞を、低栄養で酷使しているわけです。それは結局は自殺行為に他なりません。

そういった酷使労働も含めて、もし就労先がブラック企業であり、社会の常識から著しく逸脱していると感じたならば、個人的事情はどうあれ、早期に離脱しなければなりません。

そうやって反社会的存在を孤立させていくことが、むしろ社会のためであり、万人の務めです。

2・家事・子育ては立派な仕事です

あまり仕事に優劣をつけたくありませんが、仮にこの世でもっとも重要な仕事があるとしたら、それは子供を一人前の人物に育て上げることではないでしょうか。

主婦が外で働きに出ることを指して「女性の社会進出」などと呼ぶのは、もってのほかです。彼女たちはすでに社会に参画し、金銭には変えられない、真に重要な役割を担っているのです。子供を産み、一人前の人物に育て上げた母親は、神様の次に偉いのです。

ちなみに、子供たちが小さな内は、主婦・主夫のどちらでも構いませんが、親の一人は主に家にいて、面倒を見るべきです。

つまり、専業又準専業主婦(主夫)は、健全な社会にとって必要不可欠な存在です。

小さな子供を誰かに預けて、両親とも朝から晩まで家を不在にすることは、絶対によくありません。ただし、この問題は平均所得の下降など、社会の構造問題とも密接に関係するので、解決は容易ではありません。

社会において役割を果たすものは、何であれ仕事です。

間違えてはならないのは、経済的尺度や経済的結果は、労働や仕事の重要性を計るほんの「一基準」に過ぎないということです。

つまり、経済的には低価値であっても、社会的には高価値の仕事は山ほどあるのです。

私たちはいつの間にか、何でも経済的価値で判断してしまう悪い色メガネをかけるようになりました。ましてや、収入を基準にして人生に「勝ち組」「負け組」の烙印を押すなど、論外です。「外」で働き、収入を得る行為だけが「勤労」ではありません。

3・働きたくとも働けない人々の「やむにやまれぬ事情」を理解する

世の中には、重度の病や障害を背負っている人たちがいます。興味深いことに、かえって身体的な障害のある人ほど、「働きたい・社会の一員になりたい」という熱意が強いです。

頚椎を損傷して寝たきりを余儀なくされている人の中にさえ、コンピュータやサイト関連の仕事をされている人もいます。

そういった人々の労働及びそれを通した社会参画への意欲に応え、社会全体が働ける場所と機会を増やしていくことは務めです。

ところが、世の中には、そういった人々への想像力を欠いた人もいるようです。

私は個人的に重度の病気や怪我、障害を負ったことはありませんが、いつかなる可能性はあります。誰であれ、障がい者や生活保護者になる可能性があります。こういった問題を考える時、陳腐ですが、その人の立場にたってみることが必要です。

働きたくとも働けない人を指して、無価値の烙印を押すことは恐ろしい間違いです。

「他人は自分である」という教えは、いつ何時も思い起こすべきです。その人もまた「あなた自身」なのです。

今生でなくとも、誰もが一度は、過去生や来世で、寝たきりであったり、人の世話になったりするものです。だから、人は助けたり、助けられたりしているのです。

その人を軽蔑することは、自分を軽蔑するに等しいのです。

むろん、病気や障害を装って、弱者の予算を食い物にする詐欺師が実在するのも確かです。社会に寄生し、社会に損害を与える者は罰しなければなりませんが、それはまた別個の問題であることに留意しなければなりません。

4・仕事に己の役割・生きがいを見い出すのもほどほどに

働くことを自己目的化して、労働を美徳と考え、社会における役割を果たす神聖な行為であると見なすことは、大いに結構なことだと思います。少なくとも労働を罪と考えることより、はるかに素晴らしいです。

ただ、それも程度問題だと思います。仮に仕事や働くことに執着し、過剰な意味を見出すようになったら、逆効果ではないでしょうか。

仕事に生きがいを感じるのは結構ですが、そればかりに捕らわれるのもよくありません。

たとえば、仕事を失った時、自分が社会にとって不必要な人間になったかのような錯覚の原因ともなります。

たしかに、ある種の人々は、天職ともいえる仕事を通して、世の中に対して大きな奉仕を行います。その人はそういう使命を背負って生まれてきたとも言えます。

しかし、そういう特殊な人でさえ、全人間期にわたってそうすることを定められているわけではありません。ブッダは中庸を説きましたが、何事もやはりバランスが大事です。

というわけで、より人間らしい社会、又より人間らしい生き方を実現していくために、以上の四つの点に注意したいものです。