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悪は私たちの内側にある

撮影:Takaaki Yamada

2016年5月にフィリピンの新大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテ(南部ダバオ市の元市長)氏の政治が、何かと世間を騒がせています。

ドゥテルテ大統領は思い切った麻薬撲滅対策を始めました。それは麻薬密売の関係者をその場で射殺するというものです。有言実行で、国民の支持も高いです。この強硬策に恐れをなした何十万という麻薬密売人たちが雪崩を打って自首しているそうです。

人権団体や国際社会から強い批判が出ていますが、フィリピンにはフィリピンの深刻な国内事情があるという擁護もあります。一概に悪いと決め付けることはできません。

しかしながら、対策の是非についてはともかく、純粋に政策として効果があるかないかという観点から見ると、長期のスパンでは、やや疑問があるのも確かです。

それはなぜか?

ドゥテルテ大統領のやり方は、国家権力を使って麻薬密売人を滅ぼすというものです。いわば「力ずくで悪を消滅させる」というわけです。

たしかに、これによって、少なくともドゥテルテ氏の目の黒いうちは、麻薬絡みの社会悪が大幅に減ることは間違いありません。

しかし、本当に悪は“消滅”したのでしょうか?

私はそうは思いません。世の中には麻薬で手っ取り早く快楽を得たいと考える人間がいて、他方で麻薬を売れば儲かると算段する人間がいます。その人々の考え(欲望と言い換えてもいいかもしれません)そのものを滅ぼさない限り、悪は消滅したとは言えません。

つまり、力ずくで悪を消滅させるやり方が効果を表すのは一時的です。

最終的には元に戻ってしまうか、あるいは、より耐性を身に着けて、以前よりもむしろ取り締まりしにくくなる形で広まるかもしれません。ちょうど強力な抗生物質の作用と同じです。一時的に有害な菌の大半を駆除しますが、結局は耐性菌を広めてしまうのです。

なぜそうなるのでしょうか。

それは、この世界は結局、私たちの内面の顕れに過ぎないからです。

私たちはつい自分の外側に悪を求めがちです。事実、表面的には、自分ではない誰かが強盗をやり、殺人をやり、隠れて汚職をやり、モラルなき危険な商売をやります。だから私たちも「悪いのはその犯罪をやる張本人だ」と信じきっています。

たしかに、そうかもしれません。しかし、その「他人」もまた私たちの社会の一員であることには変わりありません。また、彼も赤ん坊の頃から犯罪者だったわけではありません。つまり、同じ「社会」を通して、私たちも彼らと繋がっているのが真実です。

かのルドルフ・シュタイナーは、神秘修行に入るための条件の一つとして、「自分を全体生命の一部と感じること」を挙げています。そのような考えを育てていくと、やがては「自分が全人類の一部分ではあるが、そのような部分として、生起する一切の出来事に対する責任をも分有している」という思考と無縁ではなくなってくると言います(『いかにして超感覚世界の認識を獲得するか』(P127~128)*傍線筆者より)。

要するに、「社会」とは、どこまで行っても、私たちの「内面の反映」に過ぎません。つまり、私たちの中にある悪が、一部の人の身体を借りて、社会に現れているわけです。である以上、シュタイナーの言うように、私たちも責任を分有するのです。

ですから、仮に何らかの強力な独裁的権力を用いて、ありとあらゆる犯罪者や犯罪的傾向のある人物と組織犯罪を抹殺し、いわゆる「普通の人々」だけを残したとしても、平穏なのはしばらくの間だけです。結局は、その「普通の人々」の中から、以前と同じ比率の人々が悪に染まっていくでしょう。

遠回りなようですが、結局、世の中の悪を減らしたければ、私たちの内面に向けた対策――心の教育・霊的向上――を一歩ずつやっていくほかありません。

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