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驚きの仮説――神様はネトゲ廃人だった?

出典:Pixabay CC0 Public Domain

私は今まで古今の聖人・聖典の教えに基づいて、次の三つの真理を述べてきました。私の知識はすべてこれらの借り物である点をお断りしておきます。



第一に、「すべての人は神様である」ということです。

神様が人の姿を一時的に借りているだけの存在、それが人間である、と。

人間がみな神様であるということは、本質的にはいかなる優劣も存在しないということです。これは世俗の人間平等思想の建前から自分でも信じていない美しい観念論を偽善的に述べているわけではなく、インド哲学的には事実そうであるということです。

私たちは究極的には神様から出て、また神様に還っていくだけの存在です。

それはちょうど、大洋から立ち上った水蒸気の辿る道筋と似ています。湿った空気は、陸地の山脈とぶつかって雨となります。小さな水滴は長い旅路を経て、最後は再び海へと融合します。一滴一滴の辿る経路は違いますが、ゴールはみな同じです。

ただし、その過程において個々の魂に霊的な進化の差が生じるのも確かです。しかし、それは単に「神へと向かう旅」において、少しばかり先にいるか、それとも後に位置するか、という程度の話であって、根本的な優劣を示すものではありません。

サイババさんは「どの人も最後は神へと辿りつく」とおっしゃっています。私たちはみんな神様の「分霊・分魂(わけみたま)」なのです。

第二に、「この世は仮想現実である」ということです。

インド哲学ではこの世は「マーヤー(幻)」であると説明しています。ブッダさんはこの世は「空」であると説きました。いずれも同じ意味です。

つまり、今風にいえば「この世はバーチャル・リアリティである」ということですね。私たちはこのVR世界におけるアヴァターに過ぎないということです。

ブッダさんは、人は解脱した後、名と姿を持たなくなるといっています。逆にいえば、物質的存在の私たちが持つ名前と姿形は、一時の仮ものということです。

しかし、私たちはこの世界をリアルな現実であると思って生きています。ある意味、それは人類最大の錯覚です。ただ、それでいいのです。人間の創ったVRゲームでも、できるだけそう錯覚させようとするではありませんか。もし誰もが簡単にブッダさんみたいに世界の実相を喝破してしまったら、ゲームが面白くないじゃないですか。

私たちをこの錯覚へと導くのは、実に精妙な五感の働きです。私たちは五感の情報が客観的事実そのものであると疑いませんが、真実には脳が電気信号を自分流に翻訳しているにすぎません。しかも、性能の範囲内で探知しているだけです。

ですから、動物は種の違いによって認識している世界も異なっているのです。

第三に、「人は生まれ変わりを繰り返す」ということです。

これは強制なんですね。もちろん、根本的には、元は神様であった私たちが自身にそういうルールを課したわけですが、私たちのレベルではある種の理不尽です。

輪廻転生は神的法則に支配され、この仮想世界におけるアヴァターの属性に過ぎない性別・民族・人種の枠を完全に超越します。また同じ性や人種の枠内であっても、その肉体性ばかりか社会的な役割さえも常に変化するよう仕組まれているようです。

美しい容姿、醜い容姿、大柄で強靭な身体、小さな弱々しい身体、金持ち、貧乏人、支配的、被支配的・・等など、あえて様々な役柄とそれによって必然付けられる人生を経験することによって、魂の成長は促されます。逆にいえば、それが固定化されると、私たちは学ぶ機会の多くを失ってしまいます。第一、それでは「面白く」ありません。

もっとも、転生によって様々な役割を演じるといっても、その人がある生で努力して獲得した人格や才能は、次の生においても受け継がれていくようです。

つまり、ある人の内面は前世においても来世においてもそう違わないということです。これは「霊的な進化はゆっくり進む」ということです。「人間期」は動物と神々との間に位置しますから、私たちの社会には、動物に近い人と神に近い人の両方が混在しています。動物的な性質の強い魂が、次の生でいきなり神的領域に届くことはありません。そのためには輪廻転生を繰り返し、少しずつ教訓を学んでいかねばなりません。

ただ、大半の人はボリュームゾーンに位置するんですね。つまり、霊的な進化にたいした差はないということです。私も間違いなく平均レベルの人間です。

言ったように、これは根本的な優劣を示すものではありません。どんな人も最初は動物的段階から出発するわけです。そして、ゴールが「解脱」と呼ばれる状態です。

これは輪廻転生の「輪」から脱するという意味ですね。これでゲームクリアです。もはやこの世に生まれることを強制されることはありません。

逆にいえば、私や皆さんは前世でゲームオーバーしたから、またこの世に生まれてきたわけです。サイババさんは「どこかしら不合格点があったから」と話しています。

すべては「神のリーラ(遊戯)」にすぎない

さて、以上の三つの真理を考え合わせると、神様がわざわざ「個々の魂」となって、容姿や社会的役割まで変化させながら自ら創造した「仮想現実の世界」に「ログインしてはまたログアウトする」行為を繰り返している、ということになります。

何やら不思議というか、不可解です。何のためにそんなことをしているのでしょうか。いったい理由は何なのでしょうか? 動機は何なのでしょうか?

これもヒンドゥ教で説明しています。

すべては「神のリーラ(遊戯)」である、と。

遊戯・・つまり「遊び」なんですね。と言うと、真剣に人生や宇宙や創造の意味を考えている人の中には、怒り出す人もいるかもしれない。

そんな馬鹿な、魂の修行のためだ、この世は学校と同じだ、と。

たしかに、その通りだと思います。私たちの視点から見ると、それは真実です。

しかし、よく考えてみると、もともと神様は完全な存在です。なにしろ万物の創造者です。無限の力とエネルギー、そして完全な知識と知恵を持っている。

そんな存在がなぜわざわざ不完全な「個」にならなければならないのか。

つまり、神様の視点から見ると、また違った真実が見えてくるわけですね。

究極的には、これは「ただの遊び」なんです。そして、私やあなたの中の「神の性質」(=アートマン)はそれを知っています。

神様は神様なりに何かして遊んで、退屈を紛らわしたいわけですね。

どうやら、活動期と休眠期とでも言うのか、「遊んでは眠る」ということを繰り返しているらしい。つまり、現代社会の「ネトゲ廃人」と似ています。