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他者に対する優越感は破滅への道にして最悪の病

撮影 Takaaki Yamada

ブッダさんは人が破滅へと至る「12の門」について一つ一つ解説していますが、そのうちの一つが次のようなものです。

血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも己が親戚を軽蔑する人がいる、――これは破滅への門である。

中村元訳『ブッダのことば』(スッタニパータ)(P30)〈岩波文庫〉

たしかに、こういう人は現代でもたまに見かけます。

この場合の「誇り」というのは、何か成し遂げたことや、毅然たる姿勢に対して伴うものというより、他者に対する優越感から来ているものです。

例えるなら、“劣った人”を見下して、それに対して自分は優れているのだと思い込んで自慢に思う類いの“誇り”ですね。

ブッダさんは、こういった人は、結局は破滅すると、きっぱり断言しています。

こういう種類の「うぬぼれ」「思いあがり」は、あらゆる人の病の中でも最悪の病であると、サイババさんもおっしゃっています。

学生諸君! あなたがたが現実の世界として経験しているものは、あなたがたの「真我」の反作用、反響、反射にしかすぎないことを認識しなさい。

ここで、次の疑問が起こります。

「人の心の鏡を覆っている厚い布の正体は何なのか?」

この布はアリシャッドヴァルガ、すなわち人間の六つの内側の敵から成っています。

それはカーマ(欲望)、クローダ(怒り)、ローバ(貧欲)、モーハ(執着)、マーダ(誇り)、マーツァリャ(嫉妬、美望)です。

この六つの敵のうち、「誇り」を最悪の敵と考えることができます。

なんと、サイババさんは、優越感から来る「誇り」は、怒りや執着よりも、さらに悪い人の心の病であると、断言しておられます。

たしかに、欲望や怒りは誰にでもある性質であり、そのような振る舞いをしたからといって直ちに周囲の人々から蛇蝎のごとく嫌われることはありません。しかし、この種の思い上がりだけは、人格そのものを疑われかねない態度です。どんな人からも強く嫌悪されます。そういう意味で、人間社会において破滅に直結する態度と言えます。

続くサイババさんの言葉は、さらに分析的です。

誇りには次の八種類があります。金銭、学識、カースト、富裕、美、若さ、地位または権勢、そしてタパス(霊的な誇り)がそれです。

あなたがたが次の二つの事実をよく考えるならば、この誇りという敵を征服することができます。

第一に、井戸のなかの峠のようではなく周囲を見渡すならば、あなたの心に誇りを生むこの八つの項目の一つ一つに関して、あなたよりも優れている人たちがたくさんいることが分かるでしょう。

第二に、金銭、権威、若さなどのこういった項目は全部、きわめて一時的なものだということです。

それゆえ、あなたが心の鏡を覆っているアヴァラナ(*)を取り除きたいと思うならば アリシャッドヴァルガに含まれている誇りと他の五つの敵を払いのけなさい。

アヴァラナというこの厚い布を取り去る最上の方法は、すべてのものに対する愛を広げることです。愛は神です。愛のなかに生きなさい。

愛は、すべてを結びつけ、見かけ上のあらゆる多様性の背後にある一つの「実在」を私たちに理解させる唯一のきずなです。

(*)心のねじれ。人間の心の鏡を覆う厚い布に例えることができる。「神我」をまったく覆い隠してしまい、人間が自分を誤って身体と同一化する結果を生む。

『サティア サイババ ブリンダヴァンの慈雨』(P117~118)

なんという英知に満ちた言葉でしょうか。

短い言葉の中に、私たちの過ちと、なぜそれが誤っているかという理由、そして解決法までが凝縮されています。「誇り」の根拠などいい加減なことがよく分かります。

世界を創造した神から見れば、人間は地球の表面に生息している小さな微生物のようなものです。

ノミの世界で、「おれはほかのやつより頭がよい」「より高くジャンプができる」「誰よりも美しい」などと、誇りで膨れ上がっている固体をイメージしてみましょう。

そういうノミを漫画で描いてみれば、いかに愚かで、滑稽であるかが分かります。

神から見れば、それこそまさに小さなプライドで胸を膨らませている人間の姿です。

自然と謙虚な姿勢が取れる人が尊ばれるのも道理です。なぜなら、そういう人は、この種の愚かなうぬぼれをすでに克服した人だからです。

気をつけねばならないのは、8種類の誇りの中に「タパス(霊的な誇り)」も含まれることです。「自分は他の人に比べて真理を知っている」などのうぬぼれでしょうか。

このような霊的エリート意識に毒された人は、宗教やスピリチュアルの世界には非常に多く見受けられます。これもまた厄介な心の病気なんですね。

“他のノミに対して優越感で一杯のノミ”にならないように注意しましょう。