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仏教の教え――卑しい人とはどのような人か?

撮影 Takaaki Yamada

ブッダさんは現実の暮らしに即した具体的な行動規範を説いています。

このエピソードでは、ブッダさん自ら托鉢している様子から始まります。

ある日、ブッダさんがサーヴァッティー市内を托鉢して回っている時でした。バラモン・バーラドヴァージャの住居に近づきました。彼は「聖火」に仕える人物でした。

彼はブッダさんが来るのを見て、あろうことか、「賤しい奴よ、そこにおれ」などと怒鳴りつけたのです。原語では「どの階級にすら属さないもっとも賤しい身分」という意味の言葉をブッダさんに投げかけたようです。彼は神聖な火が汚れてしまうと思って、こっちに近寄るんじゃないという意味で「そこにおれ」などと怒鳴ったわけです。

そこでブッダさんは問いかけます。

そんなことを言いますが、あなたは賤しい人とはなにかを知っているのですか、賤しい人たらしめる条件を知っているのですか、と。

しかし、バラモン・バーラドヴァージャは知りませんでした。それで「賤しい人とはどんな人かという条件」を説いてくれないとかと頼みました。



現代の基準では「犯罪」に該当する行為がほとんど

「ではお聞きなさい」と言って、ブッダさんは次のように説いて聞かせました。

怒りやすくて恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、――かれを賤しい人であると知れ。

一度生まれるもの(胎生)でも、二度生まれるもの(卵生)でも、この世で生きものを害し、生きものに対するあわれみのない人、――かれを賤しい人であると知れ。

ちょっと割り込みますが、前者は哺乳類のような動物を指しており、後者は鳥などの動物を指しています。本来の仏教では鳥獣の殺生も禁止なんですね。現代でももちろん正当な理由なき動物の殺傷・虐待は忌むべきこととされ、法律でも禁止されています。

村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、――かれを賤しい人であると知れ。

村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗み心をもって取る人、――かれを賤しい人であると知れ。

実際には負債があるのに、返済するように督促されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃れる人、――かれを賤しい人であると知れ。

実に僅かの物が欲しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人、――かれを賤しい人であると知れ。

証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人、――かれを賤しいであると知れ。

或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族または友人の妻と交わる人、――かれを賤しい人であると知れ。

己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、――かれを賤しい人であると知れ。

母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵る人、――かれを賤しい人であると知れ。

また割り込みます。これらは単純に言うと、侵略圧政、泥棒横領、虚偽に拠る借金の踏み倒し、強殺、偽証、強姦・姦通、親不孝、肉体的精神的DV・・のことですね。

親不孝以外については、現代でも普通に法律に違反するものが大半です。つまり、ここでいう賤しい人とは、今では犯罪者のことですね。

人は生まれではなく行為によって賤しい人ともバラモンともなる

以上は、現代でも一般に常識として理解されていることです。

以下からは、悪しき生活態度の例が多くなります。犯罪ではありませんが、心や道徳の問題になるので、こちらのほうがよりハードルが高い気がします。

相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、――かれを賤しい人であると知れ。

悪事を行なっておきながら、『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人、――かれを賤しい人であると知れ。

他人の家に行っては美食をもてなされながら、客として来た時には、返礼としてもてなさない人、――かれを賤しい人であると知れ。

バラモンまたは〈道の人〉、または他の〈もの乞う人〉を嘘をついてだます人、――かれを賤しい人であると知れ。

食事のときが来たのに、バラモンまたは〈道の人〉をことばで罵り食を与えない人、――かれを賤しい人であると知れ。

この世で迷妄に覆われ、僅かの物が欲しくて、事実でないことを語る人、――かれを賤しい人であると知れ。

自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、――かれを賤しい人であると知れ。

ひとを悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、――かれを賤しい人であると知れ。

目ざめた人(ブッダ)をそしり、或いは出家・在家のその弟子(仏弟子)をそしる人、――かれを賤しい人であると知れ。

実際は尊敬さるべき人ではないのに尊敬さるべき人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人、――かれこそ実に最下の賤しい人である。

わたくしがそなたたちに説き示したこれらの人々は、実に〈賤しい人〉と呼ばれる。

生れによって賤しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

(以上、中村元訳『ブッダのことば』(スッタニパータ)〈岩波文庫〉より)

最後のほうの「盗賊」ですが、尊敬されるべきではないのに尊敬を得ていることを指して盗賊行為に例えているわけです。

さて、こんなふうにブッダさんから説かれて、バラモン・バーラドヴァージャは「すばらしい」と大層感激し、在俗信者として認めてくださいと頼みました。

そして、「今日以降命の続く限り帰依いたします」とブッダさんに誓いました。

私としては、むしろ後半部分に関して自戒しなければならないと反省しています。