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仏教の教え――仏教徒は本来どのような戒律を守るべきか(出家者編)

出典:Monks in Thailand.JPG - Wikimedia Commons

ブッダさんがコーサラ国の都であるサーヴァッティー市の「孤独なる人々に食を給する長者」の園にいた頃の話です。

500人の在俗信者たちがブッダさんの教えを聞くために集まっていました。

その中のダンミカという名の信者が、みんなを代表して、「出家修行者」また「在俗信者」はどのように振舞うべきなのかを、師に尋ねました。

これはまさに「仏教徒Buddhistとは本来何か」という根幹に関わってくる教えです。

一応「仏教国」の日本ですが、ほとんど忘れられているような気がします。

ちなみに、2015年末の公式統計で、約7・7万のお寺があり、約34万の僧侶がいて、仏教徒が約8870万人いるそうです(*参考:文化庁文化部 宗教年鑑サイト)。

もっとも、神道系信者の合計もほぼ同じだけいるので、「神道の国」でもありますが。



出家修行者のための戒律

ブッダさんは、まず出家修行者について、次のように答えました。

(以下引用)

修行者たちよ、われに聞け。煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。汝らすべてはそれを持(たも)て。目的をめざす思慮ある人は、出家人にふさわしいそのふるまいを習い行え。

修行僧は時ならぬのに歩き廻るな。定められたときに、抵鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くならば、執著(しゅうじゃく)に縛られるからである。それ故に諸々の〈目ざめた人々〉は時ならぬのに出て歩くことはない。

諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは、ひとびとをすっかり酔わせるものである。これらのものに対する欲望を慎んで、定められたときに、朝食を得るために(村に)入れよ。

そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば、ひとりで退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い、こころを外に放ってはならぬ。

もしかれが教えを聞く人、或いは他の修行者とともに語る場合があるならば、その人にすぐれた真理を示してやれ。かげぐちや他人を誹謗することばを発してはならぬ。

実に或る人々は(誹謗の)ことばに反撥する。かれら浅はかな小賢しい人々をわれらは称賛しない。(論争の)執著があちこちから生じて、かれらを束縛し、かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

智慧のすぐれた人(ブッダ)の弟子は、幸せな人(ブッダ)の説きたもうた法を聞いて、食物と住所と臥具(*寝具)と大衣の塵を洗い去るための水とを、よく気をつけて用いよ。

それ故に、食物と臥具と大衣の塵を洗い去るための水、――これらのものに対して、修行僧は執著して汚れることがない。――蓮の葉に宿る水滴〔が汚されない〕ようなものである。

(以上、中村元訳『ブッダのことば』(スッタニパータ)P80~81より引用終わり)

*在家者編へとつづく