
仏教は因果応報(カルマの法則)を詳細に説いている
カルマについてはサイババさんの貴重な教えを紹介しました。なぜカルマが生じるのか、その負債を軽減することはできないのか、といったことを述べています。 ぜひ当記事と合わせて読んでいただきたいと思いま...
カルマについてはサイババさんの貴重な教えを紹介しました。なぜカルマが生じるのか、その負債を軽減することはできないのか、といったことを述べています。 ぜひ当記事と合わせて読んでいただきたいと思いま...
ブッダさんは現実の暮らしに即した具体的な行動規範を説いています。 このエピソードでは、ブッダさん自ら托鉢している様子から始まります。 ある日、ブッダさんがサーヴァッティー市内を托鉢して回っ...
この世は仮想現実であり、人生はそのログイン期間に過ぎないということは、私が当サイトで繰り返し述べていることです(*カテゴリー「この世の真実」を参照のこと)。 つまり、死とは単にこの仮想の世を「ロ...
ブッダさんは人が破滅へと至る「12の門」について一つ一つ解説していますが、そのうちの一つが次のようなものです。 血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも己が親戚を軽蔑する人がいる、――こ...
青山圭秀さんについては説明するまでもないと思います。 日本においてサイババブームを巻き起こした方です。 サイババさんもそうですが、「本物」や「真実」には中傷は付き物でもあります。 ...
私は今まで古今の聖人・聖典の教えに基づいて、次の三つの真理を述べてきました。私の知識はすべてこれらの借り物である点をお断りしておきます。 第一に、「すべての人は神様である」ということです。 神様が...
現存する世界最古の仏典であり、ブッダさんの言葉をもっともよく伝えていると言われる『ブッダのことば』(スッタニパータ)〈岩波文庫〉より引用させていただきます。 ブッダさんがコーサラ国の都であるサー...
前回の続きです。 次にブッダさんは、在家の者の行うつとめを語りました。 「ウポーサタ」という言葉が登場しますが、戒律を読み上げて信者としての誓いを確認したり反省したりする儀式のことらしい。...
ブッダさんがコーサラ国の都であるサーヴァッティー市の「孤独なる人々に食を給する長者」の園にいた頃の話です。 500人の在俗信者たちがブッダさんの教えを聞くために集まっていました。 その中の...
私たちの世界が「バーチャル・リアリティ」であり、私たちの物質的肉体が、その中におけるキャラクターに過ぎないことは、これまでも述べてきました。 前回の記事は、ブッダさんもそう説いているという話でし...
仏像の額にあるコブについて解説する記事の中で、スッタニパータの第五章「彼岸に至る道」が成立した経緯を説明しました。 もともとは、悩みを抱えたバラモンのバーヴァリさんが、女神から「世界の指...
まず、私は仏教の専門家でも何でもないとお断りしておきます。以下はあくまで私の主観に基づく説です。正しいか否かはご自身で判断してください。 前回、仏像の額にある小さなコブ「白毫」(びゃくごう)につ...
仏像には必ずと言っていいほど額に小さなコブがあります。これは「白毫」(びゃくごう)と言われます。まずはその由来から解説したいと思います。 最古の仏教経典である『スッタニパータ』には次のようなエピ...
ブッダは、人が「わがもの」という観念を捨て、それに執着しないよう説いています。それを貪り求める人々は、憂い・悲しみ・ものおしみを逃れられないと。 サイババさんも同じことをおっしゃっていますが、と...
人間は誰しも「老い」と直面する宿命にあります。「老い」は仏教の四苦の一つです。日本は今後ますます少子高齢化社会へと向かっていきます。個人としてだけでなく、社会としても、改めて「老い」の本質と向き合わざ...
以前の記事で、宗教論争の馬鹿馬鹿しさについて触れました。 霊的な真理は「目に見えない」ため、その前では人は盲人同然です。それゆえ、宗教論争を、その盲人たちが、自分が見たこともない動物の正...
欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは...
さて、前回と前々回で、この世界が誕生した根本原因について説明しました。神様もまた遊びたいし、何か暇潰しをしたいわけです。ただ、神様がそれをやると、何とも壮大なスケールのものになってしまうわけですね。そ...
もしもつねに正しくこの世を歩んで行くときに、明敏な同伴者を得ることができたならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念(おも)いをおちつけて、かれとともに歩め。 しかし、もしもつねに正...